傍聴を通しての感想

無期懲役が求刑されましたが、後は判決を待つのみです。

私は、弁護人の最後の弁論と同意見です。
以下、弁護人の訴えたいことをざっくり「まとめ」ます。



今回の事件は彼女の責任です。
しかし彼女一人を責めて再発を防げるという事件ではない。

若い・高卒・すぐに離婚・出産・ほとんど社会経験なし・
働きながら一人で子育て・夜の仕事を選ばざるを得なかった状況・
援助なし・思考回避。

被告人にしかない人生で、被告人にしかない体験をしてきた。
被告人に厳しい処罰は必要です。
しかし、被告人だけを責めて被告人に厳罰を科すことだけで事件が防げるわけでもないし、
それが、「今回の事件と『社会』が真剣に向き合う」ということではないはずです。

ステレオタイプな理解で、感覚だけで事件を見てはならない。
そこで考えを止めてしまってはいけない。
なんでこんなことが起きてしまったかを私たちは考えなければならない。



同意見すぎて、思わずメモを取る手に力が入りました。

被告人はかつて母親から虐待を受け、
親となった時、(心理鑑定人曰く)無意識のうちに加害者になっていました。

(この文脈だけを読むと、わかりにくいと思うので、過去のブログを参照してください)

被害者が、ある瞬間から加害者に転換する構図は、
見方を変えればどんな問題にも当てはまります。

戦争もお互い、「自分が正義だ!」と言って始まります。

誰かを攻撃したら、その時点でその方は加害者になります。
加害者がいるということは、被害者がいるということです。

そして、それが連鎖されて、世代間を超えて続いていきます。

切ないです。

連鎖を断ち切るには、自分が連鎖の中にいることに気づいて、
(気づかない場合は第三者に気づかせてもらって)
断ち切る強さと意志を身につけていくことが必要です。

 

そして、裁判を通してずっと感じていたことですが、

この事件に限ったことではなく、

「夫婦の問題」と「親子の問題」を、同じ枠の中で考えるから、

子どもにしわ寄せが行き、不幸な連鎖が始まるのだと思います。

 

「夫婦間」の争いに子どもが関わっていないのなら、

なぜ、「親子間」の関係まで失くす必要があったのでしょうか?

子どもには何の責任もないのに…。

 

彼女は何度か「自分にはもう育てられない」と、

夫、家族、行政にSOSを出しています。

でも、彼女がSOSを出した時に、実際に彼女の元へ足を運んだ人は誰もいませんでした。

 

期待をした分、落胆も大きかったと思います。

 

彼女の2本の手だけでは、2人の乳幼児を抱くには足りませんでした。

誰かの手が、彼女の替わりに2人を抱きしめていれば、事件は起きなかったかもしれません。

 

同じ事件を繰り返さないように、

命のあるうちに…ぬくもりのあるうちに…。

会いに行ってください。抱きしめてください。

 

そして、高卒の彼女でもすぐに働ける昼の仕事で、

すぐに入れる寮・託児付の場所があれば、

彼女の人生は違ったかもしれません。

 

この事件には、社会の抱える様々な問題が関わっています。

彼女の「成育歴・人格」の問題で片付けてしまったら、

同じような環境で苦しんでいる方たちが、

「どうせ自分一人の責任にされる…」

と、SOSの声を出すことができなくなる気がしてなりません。

 

刑が確定したからといって、社会の問題は何も解決していません。

社会全体で考えていきたいです。

 

ただ気になるのが、児童虐待問題と裁判問題に詳しい、全傍聴をされた記者さんから、

ご指摘いただいたことです。曰く…

 

・裁判員裁判だったので、期間が短かった(12日間)。
この事例なら、 今までなら、1年くらいかけてじっくり検討されていたけど、
裁判員裁判になって、市民の方を長期間拘束できないので、
大まかな論点しか出せなくなった。

・裁判員裁判は、専門的な論争ができない傾向にある。
市民の方は、専門用語が理解できないかもしれないので、
込み入った話ではなく、一般の方でもわかる話しかできていない。
裁判員裁判以前なら、専門データをもっと出して、長期間かけて検​討していただろう。

・市民の味方であるべき弁護人が、マスコミ取材を受け付けなかっ​たので、
専門データ(鑑定)が世に出ることなく、お蔵入りすることになっ​た。
普通は、弁護人が取材を受けて、市民目線で理解できるように、
いろいろと材料を出すのに。

(納得のいく鑑定だっただけにもったいない)

マスコミは知ることができなかった=世にでない=社会で考えるこ​とができない。
弁護人は「社会で考えて欲しい」とか言いながら、無責任ではないか。

結果、マスコミは科学的根拠のある記事を書くことができず、
裁判でやりとりされた言葉で「事実」と認められる内容しか書けな​い。

・今回のことは社会全体で考えたいけれど、
考えるための材料を与えてもらえていない。
推論だけでしか考えることしかできない。

 

とのことでした。

 

裁判を傍聴していて、刑を確定することだけに争点が絞られていることが、

ずっと気にかかっていました(裁判は刑を決めるものとわかっていますが)。

 

彼女を裁いても、彼女が事件を起こす原因となったことは社会に残ったままです。

その原因を、きちんと追究して、改善していかないと、

2人の命は救われないような気がします。

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    こんの (月曜日, 19 3月 2012 07:44)

    被虐待の経験もあり、若い出産・高校中退・すぐに離婚・ほとんど社会経験なし・働きながら一人で子育て・夜の仕事を選ばざるを得なかった状況・
    援助なし・思考回避。

    私の16年前の状況です。
    被告人と全く同じ状況でも、がんばっている人が多くいます。
    社会が変わるということは簡単ではありませんが、がんばっている人々が偏見に晒されてもがんばっているということも、きちんと伝えていって欲しいです。
    それもまた、大切なことだと、私は思います。

  • #2

    tsuji-yukiko (月曜日, 19 3月 2012 23:23)

    >こんのさん

    コメント、ありがとうございます。
    おっしゃる通りです。
    裁判でも、検察官がその点を指摘されていました。

    今後、そういう方の意見を集めたら、
    心理鑑定の西澤先生がおっしゃっていた、
    「同じように虐待を受けて育っても、虐待をしない母親もいる。
    発症する人と発症しない人の差が、今の精神医学ではわかっていない」
    という点が解明されていくのかなぁと思います。

    頑張っている方たちは、子どもを育てることに責任感と愛情を持ち、
    過去がどうだから、どう、ということは関係なく育てていらっしゃいます。

    そこには意志の強さを感じます。
    そういう思いも大切に伝えていきたいです。

    ご指摘くださり、ありがとうございます。

娘に親として、人間として成長させてもらいました。心の底から「ありがとう」と感謝しています。

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